2009年よりNY在住で、共にファッション業界に身を置くロン毛(Wataru Shimosato)と坊主(Ryo Miyamoto)が綴るブログです。

海外生活を通して培ってきた考え方、仕事論、ファッションネタ、NY観光情報など雑多に更新中。

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最近気づいた私にとっての"ラグジュアリー"の意味

最近気づいた私にとっての"ラグジュアリー"の意味

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こんにちは、「ロン毛と坊主とニューヨーク(@longebose)」のロン毛、下里(@watarubob)です。

ふとYouTubeのsuggestionに某バラエティー番組のフルバージョンが上がっていて、何気なくクリックして見たら一瞬にしてその内容に引きこまれました。

今日はその動画からの超個人的な気づきの話をしたいと思います。

その番組で特集されていたのは菊野昌宏さんという独立時計師の方。

独立時計師という職業に馴染みのない方も多いかと思うのですが、デザインから始まり中のムーブメント、ネジ、外装、針、文字盤などの時計の全てを一人で制作する人のことみたいです。 (みたいです、というのは私もこの番組でその存在を知って詳しくないため間違っているかも…)

 

独立時計師は時計の中身、数十、数百のミリ単位の金属パーツを一つ一つ手作りし、時計を組んでいきます。

一つのパーツを作るのに数時間かかることもあるようで、菊野さんが製作出来る時計の数は年に1本、お値段は2000万円。

めちゃくちゃ月並みですが、こんな世界があるんだ、と思いました。

 

気になるものは掘り下げるタイプなので、そこから菊野さんのことが気になりいろんな動画やインタビュー記事などを読み漁ったら、その中で菊野さんが「今の時代、100円ショップで時間がズレない時計が買えるし、機械で製産したら同じものでももっとコンパクトに精密に作れると思います。それを敢えて人が手作りで作るのは無駄なのかもしれないですが、それを好きだと言ってくれる人もいる。」というような内容のことを話していました。

それを聞いたときに「あぁ、これだ」ってすごく納得したというか府に落ちたというか、私の中で全てまとまった感じがしたんです。

 

菊野さんの時計を例にしてみたら、1mmに満たないパーツを一つ一つ手作りで素材から削りだして作り出し、全自動やデジタルな時計が溢れる中でわざわざ時間がズレてしまう手巻きの時計を作ること。

それって究極な無駄なんですよね。

ただその無駄っていうのは同時に究極に贅沢じゃないかということ。

 

私がモノを手に入れるときにはいつでも必要なものと欲しいもので分けて考えているのですが、例えば分かりやすく言えば仕事で使うカメラやパソコンは欲しいというより必要なもの、Geoffrey B Smallの服やm_moriaのブーツは必要というより欲しいもの、みたいな。

そのときに必要なものに関しては私は最新、ハイスペックみたいなモノを好むので結果的に無駄やエラーの少ない大手メーカーや有名ブランドが出す製品を選ぶことが多いですが、欲しいものに関しては真逆で完璧に整っていなくとも手縫いのものや手染めのものを好んだりして、つまりは究極に無駄なものを選んでいます。

 

感覚的な行動だと思っていて今までクリアに説明出来なかった部分は、無駄なものを身に纏う、または自分の周りを無駄でいっぱいにすることこそ贅沢であり、究極のラグジュアリーだという私なりの考え方だったようです。

それは物の数でも値段でもない目には見えない価値であり、自己満の世界でしかないのですが、欲しいものや好きなもので自己満を突き詰めることそのものが私にとってのラグジュアリーであるとも言えるかもしれません。

 

 

そして、これはただの余談で独立時計師について掘り下げていて気が付いたのですが、私はこういうアホみたいに拘りを持った職人みたいな、そういう世界感が単純に好きということにも気がつきました。

こればっかりは理由がどうとかそういう理屈的な話でもなく、単純にそういうモノが好きだということですね。

 

どこの誰がどこでどんな風に作っているモノかわからないモノよりも、私は作り手の顔や制作風景までも分かるものは、モノ自体の価値だけでなくその工程にまでも愛着が湧きます。

生産している農家の方の顔や名前が見える野菜ならば安心して買いたいと思う人が多いみたいな感覚に近いでしょうか。

私の場合は自分の好きなものに対してそういう気持ちをとても強く持っていて、もっと言えばモノ自体というよりも作り手本人に惚れ込んでいる場合すら多いですね。

モノを買っているというよりも、その人への敬意を払う意味でお金を払っていると言っても過言ではないとすら思います。

 

 

こういうモノの選択を続けていくと、世の中に自分がそこまでのめり込めるものというのは多くないことに気が付いて必然的に身の回りに物質的なモノの量は少なくなり、同時に身の回りの一品一品それぞれに対する愛は強いものになっていきますね。

それが私の理想的な嗜好品の在り方であり、ラグジュアリーの意味するものであります。

 

超個人的な気づきというか頭の中のスッキリを書いただけで、これと言ったまとめもない話ではありますが、こういう感覚の人は私の周りでは確かに少しずつ増えているように感じます。

読んでくださった方の何かの気づきにでもなれば幸いです。

 

 

そうそう、最近はロン毛と坊主はそれぞれ個人のTwitterのアカウントで呟いている事が多いので、よければそちらもフォローくださればと思います。

ロン毛 : @watarubob

坊主 : @themancalledr

ロン毛と坊主(二人のアカウント主にブログ更新情報など) : @longebose

 

それでは!

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