2009年よりNY在住で、共にファッション業界に身を置くロン毛(Wataru Shimosato)と坊主(Ryo Miyamoto)が綴るブログです。

海外生活を通して培ってきた考え方、仕事論、ファッションネタ、NY観光情報など雑多に更新中。

ブルックリンでオンラインブティックNo.648を運営しています。


ゲストエディター

「カネで買えないものにカネをかけろ」という親父の教えは人生の本質を突いていると感じた話

「カネで買えないものにカネをかけろ」という親父の教えは人生の本質を突いていると感じた話

ロン毛と坊主とニューヨーク

 

 

 

今日の一枚

撮影者 : ロン毛

新しくできたモダンなアパートと古びたアパートの対比が面白かったので一枚。

カメラ本体 : Nikon D3S / レンズ : F1.4 EX DG HSM

焦点距離 : 85mm / 絞り値 : F1.8 / ISO感度 : 800 / シャッタースピード : 800秒


 

ここ数年、あまりモノを買わなくなりました。 

ファッションが好きで、ニューヨークのファッション業界に身を置く私ですが、

あんなに大好きだった服や靴すらも、気が付けば昔に比べると随分と買い物の頻度が下がったもんです。

 

衣類をはじめその他の全てのモノを購入する際には、まず欲しいものなのか必要なものなのかを判断し、欲しいものは買わなくなりました。

欲しいものというのは一呼吸おいて考えてみると、その多くが今までに購入したもので事足りるケースや不要なものであることがほとんどだったので。

必要であれば値段が安かろうが高かろうが買いますが、

極論を言えばそれ以外は基本的に無駄、または手に余りすぎるという考えです。

 

 

何でも欲しいモノを購入することに違和感を覚えて実際にモノを購入することが減ったのはここ数年、2〜3年間の話だと思うのですが、

そういえば昔から私の父親はこんなことを言っていました。

 

『カネで買えるものに無駄にカネを出すな。カネで買えないものにカネをかけろ。』 

 

父親はちょくちょくそんなことを言っていましたし、たまにSkypeで電話をすれば今でもたまに話しています。

 

 

カネで買えるものというのは分かりやすい例えで言えば、 高級車なんかでしょうか。

高級車は確かにお金がないと買えませんが、逆に言うとお金を払いさえすれば誰でも、なんなら明日にでも手に入れる事ができます。 

それを購入するだけのお金を稼いでいるのは立派なことだと思いますが、高級なものを所持していることだけにフォーカスしてみれば、そこには見栄と自己満足以外にはさほど価値はないというのが次第に見えてきたと同時に、私自身そういう人間にはなりたくないと思うようになりました。

ファッションに関して、お金持ちが全身高い服や装飾品で着飾っているだけのに全く魅力を感じないのと同じような感覚とでもいいましょうか、

要するにつまらない、そんな感じです。

 

 

逆にカネで買えないものというのは何かというと、父親がよく言うのは自分自身のスキルや経験です。

 

例えば私はテニスをやっていたのでテニスが得意です。

でもそれは私が積み重ねてきた膨大な練習時間や親がお金をかけて練習させてくれたからの賜物であり、

初心者がテニスが上手くなりたいからと言って1000万円支払ったとしても次の日に私と同様にラリーが出来るようになることは決してありません、当たり前ですが。

ピアノを長いことやっていて絶対音感が身につきましたが、3000万円支払っても明日までに絶対音感は身につきませんし、

1年間筋トレをして食事にも気を使う生活を続けている坊主のようなカラダは、5000万円払っても明日には手に入らないでしょう。

 

 

お金さえ払えば誰でも出来ることというのは実はつまらないしあとに何も残らないという話で言えば、

先日お会いしたあるファッションブランドの社長さんはこんなことを言っていました。

「いくら高級な料理を食べに行ってもすぐに忘れてしまうけど、若い頃に苦労して自炊して食べた飯の味は忘れない。カネを払って手に入るものになんて本当は大した価値はないんだよ。」

と。 

 

某CMの「モノより思い出」というキャッチコピーは恐らく誰もが知っているかと思いますが、

この言葉を改めて考えてみるととても本質が詰まっています。

ほぼすべての人の頭に入っているであろう言葉ですが、

この言葉の示すように生きている人は実際はかなりの少数派かと思います。

それだけ今の世の中はモノで溢れ、私たちはモノにお金をかけて生活しているということでしょうね。

 

スキルや経験のようなものは長年カラダが覚えていたり記憶として残るもので、それらが人生を彩ってくれる、

だからこそ消費すること以外にやることがない、または消費することでしか価値を見出すことが出来ないような人にはなりたくないのです、私は。

 

 

私の母親はフラメンコが趣味で習っているのですが、

ハマりすぎて本場のスペインまで何度かフラメンコを観に行っています。 

普段近くで母を見ている 私の父は、

『母はとても生き生きしている。人間、本来はこうあるもんだ。』

と言っていました。 

 

 

お金で買えないことにこそ価値がある。

私の父親はそういう考えで私を育て、20代も後半の今になって私の考え方も父親の考えとリンクしてきたようで、

そんな考え方から自分のためになるもの以外にお金をかけるのは基本的に無駄なものがほとんどである、と思うようになったんですね。

この考え方は坊主の実践している断捨離や、物を持たないミニマリスト的な考え方にも通じている点があるのかもしれません。( 断捨離関連ポストまとめ

「モノを買わない = 無駄なモノは持たない  = 必要なモノで生きていく」というような構図です。

 

私は意識して断捨離をしているわけでも、ミニマリストを目指しているわけでもありませんが、

それでもここ数年で周りの持ち物は減ってきた気がします。

以前のブログ記事にも少し関係してきますが、多くのものを持たなくとも、必要なモノに愛着を持つことができればモノを消費し続ける必要もなくなってくるものですしね。

 

 

そしてモノを買わない生活に慣れてくると自然と自分の生活が世間に流されなくなり、

自分を自分でコントロール出来るようになります。

世界は流行りものの話題でいつも賑わっていますが、私は基本的にものを買わないので周りでいくら流行っていようがどこ吹く風です。

自分で自分に必要なものが分かっていれば、それ以外はどれだけ巷で流行っていようが関係なし。 

知識として頭に入れるために流行っているもののチェックもしますが、自分に必要でなければ手に取ることはなくなりました。 

 

 

 

私はもともと人と同じものを着たり、所持することが好きではなかったので流行りものにもさほど興味はなかったのですが、

最近ではその感覚に拍車を掛けるようにファッションのトレンドに全く興味を持てなくなったのはこういった考えの延長もあるのかもしれません。

(ファッション業界に身を置く者としてこれはなかなか問題かもしれませんがそれは置いておいて。)

 

そして常に世の中の流行に乗っている人がカッコいいのではなく、

ありきたりな表現ですが周りに流されることなく自分を知りコントロールしている人こそが私には魅力的に映るんですね、

それはファッションもライフスタイル全般も、人生においても同じことです。

 

 

もちろん、たまの散財で好きなモノを買ったり、それを楽しみにお金を稼ぐのもアリだとは思いますが、

給料が入る度にあれやこれやと無闇に物欲に忠実に欲しいモノを買ったりするならば、

そのお金を自分の人生を彩るためのスキルアップや経験のために使ってみる方が有意義であろう、という話です。

 

その自己投資が人生でいつ役に立つかわかりませんが、

「芸は身を助ける」とはよく言ったものでもしかするとそれがビジネスに繋がるかもしれませんし、

たとえ趣味の範囲内の自己投資であったとしても、それで人生を充実させることができれば万々歳でしょう。

 

いくらお金をかけて購入したモノでも壊れることもあれば、紛失もしますが、

自分のスキルや経験というのは自分が死ぬまで残りますからね、それこそ一度自転車に乗ることができれば一生乗り方を忘れないのと同じように。

 

 

今の便利になった世の中で必要なものというのは実はそんなに多くないことに多くの人が気付き始めていると思いますが、

こんな時代だからこそ、自分の人生を充実させるためにお金をかけることが人生の幸福度や充実感を上げることに繋がるのかなと感じる次第であります。

 

 

 

 

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