2009年よりNY在住で、共にファッション業界に身を置くロン毛(Wataru Shimosato)と坊主(Ryo Miyamoto)が綴るブログです。

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損得勘定の人間関係は「現代版スカウター」で数値化される人々の"戦闘力"による産物か

損得勘定の人間関係は「現代版スカウター」で数値化される人々の"戦闘力"による産物か

ロン毛と坊主とニューヨーク

 

 

 

今日の一枚

撮影者 : ロン毛

“NYでも有名なランドマーク的建物の一つ、フラットアイアンビルディングをエンパイアステイトビルディングの一室から。 ”

カメラ本体 : Nikon D3S / 使用レンズ : SIGMA 85mm F1.4 EX DG HSM

焦点距離 : 85mm / 絞り値 : F9 / ISO感度 : 800 / シャッタースピード : 1/25秒


最近人間関係について考える機会がよくあります。

 

私は今27歳で、まぁ世間的には「大人」ということになります。

その「大人」についての定義は置いておくとして、ある程度の年齢になってきたら人間関係も気がつけば変化してきているなと。

当たり前といえば当たり前の話なのですが。

人間関係というのは友人関係、仕事先、知り合いの知り合い、恋人、新たに今後知り合う方を含めたもので、今の私は学生の頃やもっと幼少期の頃とは明らかに違う人との付き合い方をしていることに、ふとした瞬間になんとも言えない気持ちになったりします。

というのも、私は関わる人をすごく限定している、もしくはかなり選んでいる方だと最近思うようになりました。

それは単に気が合う合わないというような話ではなくて、恐らく自分でも気づかないうちに「この人と関わることで自分にとって利益があるかどうか」という視点から入っている部分が大きいんですよね。

こんなことを書くと「ロン毛はすごくドライな人間だ」なんて思われてしまいそうですが、これに関しては年を重ねるごとに仕方ないことで、ほとんどの方が多かれ少なかれそういう意識で人と付き合っているであろうことなのですが、私の場合はその傾向が少し強いかなと。

 

 

そんな人間関係についてちょっと私なりに原因を考えていたら、タイトルにつけてみた「現代版スカウター」というワードが大きな要因の一つでもあるのかなと思ってきました。

 

スカウターとはあれです、ドラゴンボールに登場する相手の強さ(戦闘力)を測定できる装置のことです。

↑  ↑ ↑ こんなやつですね。

 

さて、まぁスカウターというのは架空の話ですが、ドラゴンボールでいうところの相手の戦闘力を図ることって、現代においても日常茶飯事だと思うんですよね。

すごく分かりやすい例で言うとSNS、私なんかも使い倒しているInstagramなんてのはまさに現代版スカウターだと思うわけです。

 

例えば、私は今この記事を書いている2016年3月25日現在、Instagramの個人アカウントでは13.4K (13,400人以上)のフォロワーがいるのですが、このフォロワー数というのは言ってしまえば現代版スカウターで見た私の戦闘力を数値化したモノの典型みたいなもんでしょう。

そうやって個人の戦闘力、実世界でいうところのその人の「価値」「影響力」が誰にでも分かるように数値化されている今の時代、その数字を見るだけでその人が自分にとって有益な人間なのかというのが一発で分かるようになりました。

数だけが全てではないことは言うまでもないのですが、それでもメディアではPVの数字が重視され、個人ではフォロワーの数が最もわかりやすい影響力を表す指標になっていることは事実ですね。

 

そうなるとどういうことが起きるかというと、やはり数字で人を判断し、数字はその後の人間関係が発展するか否かの大きなカギになってしまう部分が出てくきてしまう。

それはもう発信者側の人間ならば誰もが無意識に行っていることだと思います、もちろん私も含めて。

 

私が新しく人と知り合ったとして、その人が例えばファッション業界の人だとして、自己紹介をしてある程度話をして別れた後にSNSで繋がる、なんてのは日常茶飯事ですが、極端な話をすればその人のフォロワーが少ない人だったらその途端に「あぁ、この人は別に今後関わることもなさそうだな」などと即座に興味を失うこともあります。

いうならばドラゴンボールでラディッツが言い放ったセリフ「戦闘力…たったの5か…ゴミめ…」というような感覚とでもいいましょうか。

いや流石にゴミとまでは思いませんが。というかこの手の画像を使ってみたかっただけでもあります。

いや流石にゴミとまでは思いませんが。というかこの手の画像を使ってみたかっただけでもあります。

逆にその人のフォロワー数が私と同程度、またはそれより上の場合、全く同じ人でも俄然興味が湧くこともあるでしょう。

改めて文章に書き起こしてみると、なんとも冷酷というか、淡白な人付き合いをしていることがよくわかります。

 

さっきも書いた通り、数字が全てではないのは重々承知なので、それ以外の部分でその人の本質を見ようともするのはもちろんですが、一方で簡素化された数字というのは現代においてあまりにも人間の興味を削ぐのには十分すぎる要素の一つなんですよね。

私の周りではSNSで50K, 100K, 500Kなんてフォロワーを抱える人たちがワンサカいるので、Instagramにおける私の13.4Kという数字は屁みたいなもんで、自分で「自分は有名人だ!」なんてしょうもないことを思うようなことはないですが、それでも一般で見ると少なくもない数字であるからこそ世の中の多くの人を数字だけで判断した場合にはどうしても私の戦闘力が上というケースが少なくない。

そして無意識のうちにその世の中の大多数の人を数字で判断し、自分にとって有益かどうかを判断する材料にしてしまっている自分がいるのです。

 

私が今まで会ってきた人で興味を持たなかった大多数の人の中には、個人の「人」として見たら面白い人だったり、数字には現れないような素敵な人だったりという人が絶対にいるはずなんですが、それを探し出す努力をすることや、戦闘力を計らずにフラットな状態から人間関係を深めていくという作業をする機会が知らぬ間に減ってしまったように思います。

SNSは自分がどういう人間かものすごくわかりやすく表している履歴書やポートフォリオのようなものでもあるので、数値と同時にフィードを見ながら人を判断することでフィーリングが合うかどうかも判断できる分、そういう判断の仕方は時間を無駄にしないことに関しては良いことでもありますが。

一長一短ですね、何事も。

 

 

 

そんなことを友人に話してみたところ、私の場合、フリーランスという働き方、生き方をしていることもあり、常に自分で自分を構築し守りながら走っていかなけ ればいけない立場であることが考えるまでもなく頭に染み付いていることからも、人一倍そんな風な人間関係になってしまっているのも、なんて言われました。

そう言われてみれば、知り合いの社長さんも「お互いに有益な関係がない以上、無償で人とは付き合えない」というような旨のことを言っていたのを思い出しましたが、フリーランスの私と社長さんという事業の規模は違えど自分で何かをしている人ほど、ちょっと世間で言う所の「ドライな人間関係」のような人との付き合い方になっていくものなのかもしれません。

 

 

それは私が選んできた道であり、すごく後悔しているというわけではないのですが、ちょっと考えてみるとやはり何か違和感を感じる部分もありますね。

損得勘定というのは人間だったら誰でも持ち得るものだと思うので、これこそが人間味のある付き合い方、欲にまみれた人間関係である、と言えるのかも分かりませんが。

 

 

そう思うと、そんなことを一切考えずに出来た人間関係というのは尚更大事にしていきたいもので、例えば保育園や小学校から一緒の友人や、中高の地元の友達などは、そんな大人の事情を一切排除した中で出来た関係であり、その関係は120%純粋な友情で飲み成り立っている、それって今となっては凄いことだなぁなんて。

そもそも私は人付き合いがあまり上手い方ではないのも問題ではあるのですが、今後はもう少し色眼鏡を外して人と接し、新しい人付き合いを構築していきたいもんです。

やはり世界中どこにいても、持つべきものは友でしょう。

まぁ「新しい友達を作ろう!」と思いながら人と接しようとする時点で、すでに別の色眼鏡をかけてしまっているので本末転倒感はありますが、もう少し考えすぎずに生きていきたいと最近思いました、という話であります。

 

他にも人間関係について書いた記事がいくつかあるのでそちらも合わせてどうぞ。

話題の性格分析心理テスト「YG検査」と荘子から学ぶ人との付き合いかた

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