2009年よりNY在住で、共にファッション業界に身を置くロン毛(Wataru Shimosato)と坊主(Ryo Miyamoto)が綴るブログです。

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ブルックリンでオンラインブティックNo.648を運営しています。


ゲストエディター

ワカッチャイルケドヤメラレナイ分かってもらいたい欲求

ワカッチャイルケドヤメラレナイ分かってもらいたい欲求

 

 

 

小池龍之介の「しない生活 煩悩を鎮める108のお稽古」幻冬舎

の一ページにあったエピソードを簡単に記します。

 

市民講座で講義した時のことです。

「誰もが自分のことを他人にわかってもらいたがり承認されたがる煩悩を持っている」

という話の質疑応答の際、ある人が「自分は小さい頃から父にも母にも承認してもらいたくなかったし、誰に対しても自分のことをわかってほしいという甘えなどありません。それについてどう思いますか?」と尋ねました。

この発言は、よく考えれば実に可愛らしい内容で、「自分はそんな甘えのない人間だ」ということをその場にいる人達にわかってもらいたい。という甘えが浮かび上がっているのです。

 

もし、筆者が上記のことをその場で言ってしまっていたら、質問した人はかなり恥ずかしい思いをしたと想像しますが、

そこはさすが、お坊さん。

うまく場を流したのでしょう。

 

私もご多分に漏れず、他人にわかってもらいたい人の一人です。

「私のことわかって」という欲求が増えれば増えるほど、口数が多くなります。

結果的に相手を疲れさせることになるかもしれませんし、

根気よく相手が話を聞いてくれても(こういう友人は大切にして下さい。稀な存在だと思います。)

結局100%分かってもらえず、

心の中で「あ、やっぱり分かってもらってない。」となり、

「違う、そうじゃなくて…」と続けるか

「やっぱり私は他の人とは違うんだ…フフフ」となります。

 

現代社会で厄介なのが、SNSの存在。

自分の中で留めるかつての日記の存在は、誰にも迷惑をかけずに自分を見つめる良い方法だったのですが、

今や、自分の感情や意見は他人にダダ漏れで

他人はそれに対してLIKEなりコメントなりリツィートなり、反応し疲れ

自分はその他人のレスポンスが上記のような一喜一憂の感情を引き起こして疲れます。

 

SNSでの流れを例にとると

「私はこんなセンスの良いレストランに行くお洒落な存在だということをわかって」

「私の誕生日に50人のヒトが集まってパーティしてくれたワタシの人気ぶりをわかって」

「私はこの難しい社会問題にこんな意見も持っている頭の良いワタシをわかって」

となります。

 

そしてこの記事も

「そんなことを書いちゃう坊主のことをわかって」

ということになります。

ブーメランとはこのことですね。

 

自分が思っている以上に、相手は自分のことを気にしてもいないですし、

(相手も同様に自身のことしか考えてないので)

自分の中で処理して黙っていれば良いのですが

そうもいかないのが人間です。

 

私はまず酒を絶たないといけませんね。

付き合ってくれている友人達をありがたく思います。

 

分かってもらいたい感情を抑え気味にすると

ミステリアスな存在になり、得することも増えますが、

「ミステリアスな存在のエキゾチックなワタシを分かって」

となると、本末転倒なのでお気をつけください。

 

犀の角のように独り歩め

という原始仏教の言葉があり、少し本文の概要とは違いますが

独りで歩いているヒトはなんだか素敵です。


[断捨離]離れていったもの:酒

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[あなたはドッチ?]全く理解できない人を少し理解できるかもしれない人間分析

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