2009年よりNY在住で、共にファッション業界に身を置くロン毛(Wataru Shimosato)と坊主(Ryo Miyamoto)が綴るブログです。

海外生活を通して培ってきた考え方、仕事論、ファッションネタ、NY観光情報など雑多に更新中。

ブルックリンでオンラインブティックNo.648を運営しています。


ゲストエディター

人生に計画を立てる必要はあるのか?無計画に生きてきて思うこと。

人生に計画を立てる必要はあるのか?無計画に生きてきて思うこと。

ロン毛と坊主とニューヨーク

 

 

 

こっちでいつも遊んでいる同い年の日本人男が坊主の他にもう一人います。

彼はこの3人の中でも一番誕生日が早く、先日迎えた誕生日にうちでケーキを食べました。

 

どうしたものか、自分たちは今年で27歳。

27歳、本格的にアラサーの仲間入りであります。

 

 

自分を含め、大抵の人は誕生日を迎えた際に

「子どもの頃想像してた◯◯歳はこんなんじゃなかったなぁ。」

なんて思ったりするのではないでしょうか。

 

そこで人生における計画の意味を考えてみようかと。

人は皆、何をするにも「計画を立てろ」と小さな頃から言われ続け、当然それを良しとして生きている人が多いんじゃないでしょうか。

 

勿論自分もその時々で抱えている一つ一つの事に対しては計画を立て、目標を掲げてそれを目指して精進してきたし、現在進行形でもあります。

分かりやすい例でいえば、テニスをやっていた頃には大会で成績を残すだとか、ピアノをやっていた頃には1ヶ月でショパンの幻想即興曲を弾けるようにするだとか、今だったら1年でいくらくらい貯金してみようだとか、具体的な計画と目標は行動のモチベーションを上げてくれます。

 

では人生における大きな計画に関してはどうなのかと。

 

思うに自分は

アメリカに来てからこの7年間、人生における大きな計画というか、人生設計に似たものを設定したことがありません。

フォトグラファーになろうとしてフォトグラファーになったわけでもなく

モデルを目指してモデルの仕事をするようになったわけでもありません。

むしろどちらも今までの人生で自分の職業として考えたことすらありませんでした。

 

 

会社勤めの人と自分の生活を安易に比べることは出来ないのですが、

ここまで想定外の事のみで人生の4分の1を過ごしてみた経験から、

最近は基本的には全て流れに身を任せて生きることにしてみています。

 

今の時代、特にニューヨークという街の流れは早く、なんなら来年自分がどうなっているかも定かではないという状況。

勿論、大まかな流れとして来年には今の仕事を辞めているという予定もないのですが、想定していない新しい何かが起こる可能性は十分にあるんじゃないかと思っています。

そうなってくると計画を立てようにも立てられず、もはやその行為自体が自分には意味を成さないとさえ思えてなりません。

 

日本に住む高校時代からの親友が以前、

「計画は現在の自分の位置と、設定したゴールとの誤差を図る為の指標で、それを遂行するためにどのくらいの速度で動くかを知る目安になるよ。」

というようなことを言っていました。

確かに、ベートーベンのソナタ悲愴の三楽章全てを2ヶ月以内に完璧にしたいという計画を掲げて、1ヶ月経っているのに第一楽章の途中までしか出来ていなければペースを上げないといけないというのは計画を立ててこそ分かることです。

 

が、人生で何を目指しているのか、

短いスパンで見て3年後、5年後までにどうなっているのかというようなアイディアも確立出来ない場合、

やはり今の自分は流れのままに生きていくほうが合っている気がするのです。

 

こう書いてみると、ただダラダラ生きているように聞こえるかもしれませんが、

一応自分の中では、濁った水の中で何かきっかけの糸のようなものを手探りしながら掴んだ後、ゆっくり自分の元に引き寄せて最終的に狙ってその流れをに乗っている感覚もあったりします。

 

 

人生の計画を立てずにニューヨークで生きて来た結果、二十歳で渡米してから今年で27歳。

今後もしばらく今現在手繰り寄せている糸を丁寧に紡ぎながら流れてみたいと思っています。

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