2009年よりNY在住で、共にファッション業界に身を置くロン毛(Wataru Shimosato)と坊主(Ryo Miyamoto)が綴るブログです。

海外生活を通して培ってきた考え方、仕事論、ファッションネタ、NY観光情報など雑多に更新中。

ブルックリンでオンラインブティックNo.648を運営しています。


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人間関係を形成する上で言葉は必要か

人間関係を形成する上で言葉は必要か

ロン毛と坊主とニューヨーク 人間関係 英語 コミュニケーション

世界中の人と友達になりたい

と思ったらまず英語を勉強しないといけない

と考える人が多いと思います。

 

 

実際に英語を話せることで多くの人とコミュニケーションを取ることができ

人間関係が広がっていくことは間違いありません。

 

ただ、真の人間関係と言いますか

心と心が通った人間関係を構築する上では

言葉の壁はそこまで問題でもない気がしています。

 

 

 

日本に住む私の友人であまり英語を流暢に話せない人がいるのですが

仕事で定期的にニューヨークに来て

その仕事先のアメリカ人としっかり心を通わせて仕事をしている人が居ます。

 


その人と仕事先の人は英語では確かに100%会話が理解し合ってはいないかもしれませんが、

だからこそ自分を一生懸命伝えようとする意思やその心意気が相手に伝わり

心から信頼し合える仲になれたのだと思います。

その真の人間関係さえ出来上がればあとの事務的な会話だったり仕事内容に関しては

辞書や翻訳サービスを使用しながらでもどうにでもなるものです。

もちろんその人と仕事以外での付き合いはお互いに言葉の壁があることがわかっている前提なので

これまたお互いにお互いをフォローし合うことで更に関係が深まっていきます。



私もかなり人見知るタイプの人間で

いまでも特に日本人相手に人見知りを発揮します。

理由を分析すると恐らく、

自分も相手も母国語の日本語で話す以上

良くも悪くもお互いの言っていることの100%、または言っていなくとも意図する裏の部分までも察することができてしまい

言葉の意味を深読みしたり計算して回りくどく話すということが生じたりしてしまうことがある

ということが(自分では意識していなくとも)潜在意識の中に存在しているということなのだと思います。



逆に私は英語だとネイティブのように100%不自由なく話せる訳ではないので

日本語よりももっとシンプルに物事を考え

ストレートに自分の言いたいことを発することができことで

人見知りを発揮することも少ないです。




例えば好きな子がいたとしてその子に「好き」と伝えたい場合、

相手が自分と同じ日本人ならば

共通語は日本語なので発する言葉一つ一つを考えながら話したり

相手の様子や会話の流れを気にしながら回りくどいコミュニケーションをとったりすることが出来ます

「好き」と伝えるのにも何通りもの言葉の選択肢があり、

最終的に「好き」と伝えるにしろたくさんの回り道を通ることもできます



でも好きになった相手と英語でコミュニケーションを取っていて

自分のボキャブラリー不足で「好き」という単語が「Like」か「Love」しか知らなければ

回りくどく言う方法や選択肢が他になく

「Love」という言葉を使ってシンプルに「I love you」と伝えるかもしれません。




上記はなかなか単純な例ではありますが

二つのパターンを考えた時

シンプルに心と心のコミュニケーションを構築できるのは

言葉ではなく純粋にできる限りで心から訴えようとする

言葉がある程度不自由であるパターンなのではないかと思ったりします。




他にもほぼ全く英語がしゃべれない友人が定期的にNYに来るのですが

彼の持つ人間性と心意気で人と意気投合し繋がっているのを何度も目にし、

結局は人間同士、世界中どこにいても同じ人類、人と人なんだな

と何度も感動を覚えました。



もちろん言葉を話せるということは

人間関係をより深いものにするために絶対的に必要不可欠だと思いますが、

その深い関係になる以前の関係、

もっと純粋な人としての繋がりである「心と心」の構築にはあまり言葉は関係がないのかもしれません。




言葉が通い合う間同士でも誰とでもシンプルに本当に大切な人間関係を築いていけるような人間になりたいです。

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